2013年10月20日日曜日

フランスとチュニジアにおけるシナゴーグについて

花の都、パリ。そこはかつてのヨーロッパ人よる都市から変貌し、様々な人種が集まる坩堝となっている。この兆候は過去20年間、パリに来る度に加速しているような印象を受ける。現在、街のあらゆる所でアラブ人、アフリカ人、そしてアジア人が働いている姿が見られる。

フランスの人口は約6500万人であるが、アラブ系の人口は600万人から700万人といわれている。これらのアラブ系住民の大半は、かつての植民地や保護地であったマグレブ諸国(アルジェリア、モロッコ、チュニジア)より、1970年以降に急増した移民や移民の子孫である。そのほとんどがイスラム教徒ということを鑑みれば、フランス人の10%以上がムスリムということになる。移民又は移民を親に持つ人口は全体の20%にも昇るという。

そしてフランスはユダヤ人との歴史も深い。1787年に起こったフランス革命を機にユダヤ人は市民権を得て、他国からユダヤ人の移民も増えたという。現在、60万人のユダヤ人がフランスに住んでいるといわれ、フランスはアメリカ、イスラエルに続いて3番目にユダヤ人が多い国となっている。

そのパリであるが、オペラ座の近くに『シナゴーグ‐ドウラ‐ビクトワール』というヨーロッパ最大のシナゴーグがある。外見は近辺の石造りの建物と何ら変わらず、一見シナゴーグであることが判りにくい。しかし、よく観察すると正面玄関の上部にヘブライ語の記述がある。本日は土曜日にてシナゴーグが閉鎖されていたが、警備員によるとその中には大きな礼拝堂があり、金曜日の礼拝には多くのユダヤ人や集まるという。

一方で、私が住んでいるチュニジアのラファイエット地区というところにもシナゴーグがある。この建物は入り口付近が有刺鉄線で囲まれており、大勢の警備員に取り囲まれている。正直、重々しい雰囲気を醸し出していることは否めない。歴史的にはチュニジアにおいては、ユダヤ教徒とイスラム教徒が協力して暮らしていたが、1956年のフランスからの独立により、チュニジアはアラブ諸国の一員として正式にムスリム国家となった。これによりユダヤ人はチュニジアにおいて事実上の部外者となったという。

友人に聞いた話であるが、独立後、ダウンタウンのにあるユダヤ人墓地(私有地)は公共の施設となり、襲撃を受けたこともあったようで、現在は荒れ果てているという。確かに、Kheireddine Pacha通りから墓地を見たが、まったく手入れがされていないという印象を受けた。ユダヤ人は1956年以前には11万人いたが、現在は2千人未満となっており、その多くがイスラエル又はフランスに移民していった。

先週末にチュニジアより南西100KMに位置するテストゥールに訪問した。この街は17世紀においてスペインのアンダルシアから移り住んだ人々が築いた街で有名である。移民した人々は1492年のグラナダ陥落後のキリスト国家になったスペインにおいて、キリスト教に改宗することを拒否したイスラム教徒とユダヤ教徒達である。

テストゥールのモスクを見た際には、ダビデの星のサインが飾られているのには驚いた。これはイスラムとユダヤ教徒の融合の印であるという。かつてチュニジアはイスラム教徒とユダヤ教徒がお互い協調して住んでいたことを表す一例である。テストゥールはコルドバのユダヤ人街に似ているこじんまりした好印象の街であった。

フランスにおいて、ユダヤ教徒とキリスト教徒において問題がないわけではない。しかし、近年のフランスとチュニジアにおいて、ユダヤ人への対応とその歴史は大きく異なるようである。本日はパリにおいて、“美と洗練を誇るパリ”のみではなく、移民、そしてユダヤとムスリムについて考えさせられた日であった。

1 件のコメント:

  1. 8月,9月と投稿がなかったので心配していましたが,復活して安心しました

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