2013年11月2日土曜日

ベルベル人による戦いとは

ベルベル人という言葉を初めて聞いたのは高校生の時であろうか。イベリア半島においては、1492年のグラナダ陥落に至るまで、イスラム教徒による支配が何世紀にも及んだが、その征服した主な民族がベルベル人だと教わった記憶がある。

当時、『漫画で覚える世界史』と呼ばれる本(漫画)があり、ベルベル人がイベリア半島に攻め入っているシーンを覚えている。記憶に間違えなければ、そのベルベル人は褐色であり、サブサハラのアフリカ人の特徴をもって描かれていた。その認識が誤りであることを知ったのは、25年以上も経った最近の事である。一般化することは難しいがベルベル人はコーカソイド系であり、サブサハラのアフリカ人とはその特徴が大きく異なる。

一体ベルベル人とはどのような民族なのか。その歴史は古く、かつては紀元前から北アフリカに存在していた。現在、ベルベル人はモロッコからエジプト、そして、マリやニジェールに分布しており、今日に至るまでその文化や言葉を継承している。今日、北アフリカにおいては、2500万から3500万人がその言語を話すといわれており、民族的にはそれよりもはるかに多い人口が存在するようだ。

しかし、その歴史は必ずしも日に当たるものばかりではなかったようだ。ベルベル人は歴史的にローマ帝国、ヴァンダル王国、東ローマ帝国、アラブ、フランス等の為政者によって征服され、7世紀以降は、イスラム教化が進み、その間、地域によっては他民族との混血が進んだ。11世紀以降には主権を取り戻した時期もあったが、時には為政者により傭兵として利用され、そしてその文化や言語は社会の周辺に位置づけられていった。

一方で、その文化や言語を再認識する動きが進んでいる。アルジェリアにおいては2002年4月より、モロッコにおいては2011年7月より、ベルベル語(Amazigh語)が公用語として認められている。しかし、先週のJeune Afriqueの記事によると、モロッコにおいては、15%の生徒しかベルベル語の教育を享受できないという現状であるという。更に、子供の出生時にベルベル人の固有の名前が役所で認められず、親が裁判を起こす例も見られるようである。

そのアイデンティティーを追い求める運動は南部でも行われているという。アルジェリアの南部の国境付近やマリ、ニジェールにおいて、ベルベル人は、各国においてその地位を確立されていない。MNLA(アザワド解放民族運動)に代表されるように、ベルベル人(トゥアレグ族)が武器を手にして戦っているのは、自らの地位の確立と平和の獲得が目的であるという。各国の歴史や背景が違うため、形態こそ異なるものの、ベルベル人の戦いは続いている。

私の友人にはベルベル系のアルジェリア人と、ベルベル系とアラブ系のハーフのモロッコ人がいる。その二人、特にアルジェリア人の友人はベルベル人であることに強い誇りを感じているようだ。そのアルジェリア人はベルベル語が母国語であり、アラビア語は小学校から覚えたという。二人曰く、ベルベル人とアラビア人は文化も人種的にも全く異なり、アルジェリアとモロッコにおいては、アラブ系とベルベル系を見分けることも可能であるという。民族の融合が進んだ日本では考えられないが、縄文系と弥生系を見分けることができるような感覚なのであろうか。

現在、北アフリカにおいては、2011年のアラブの春以降、政治的混乱に伴う不安定な状況が続いている。有史以前から生き抜いてきたベルベル人は、これらの混乱も超えて、自らのアイデンティティー求めながら生きていくのであろうか。

【参考資料】
http://www.jeuneafrique.com/Articles/Dossier/JA2753p024.xml0/niger-mali-islam-maghrebafrique-du-nord-l-internationale-berbere.html
http://en.wikipedia.org/wiki/National_Movement_for_the_Liberation_of_Azawad
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E4%BA%BA
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_medieval_Tunisia

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