2014年2月15日土曜日

パリ万博(日本とフランス)

パリの8区にあるグラン・パレ。ここはパリ市立の大展示場であるが、この中にあるレストランは近くで働くビジネスパーソンも気軽に来る場所のようだ。早朝からの長時間に及ぶ打合せの後、ビジネスパートナーに案内をしてもらう。展示場内ということもあり、彫刻品などが装飾してあるアーティスティックなレストランである。聞けば、グランパレとは1900年のパリ万博博覧会のために建てられたものであるという。

1900年に開催されたパリ万博は、新世紀の幕開けを祝う大変重要な博覧会であったようだ。既にパリにおいてはそれ以前に4回も万博が開催されており、当時パリが世界の文化の中心であったことがわかる。調べたところ、この祭典には日本政府も参加し、法隆寺金堂風の日本館を建設し、古美術品を出展したという。当時は日清戦争を終えている時期であり、日本が近代国家や列強を目指していた頃である。

パリ万博の話をしながら、子供の頃に見ていたNHK大河ドラマの『獅子の時代』を思い出した。同ドラマの序幕はパリを舞台に描かれているが、ここで取り上げられたのは、更に時代が遡り、1867年の第2回目のパリ万博である。日本が初めて参加した国際博覧会であり、江戸幕府、薩摩藩がそれぞれ日本の代表として出展している。封建の世が終焉に向かっている時期であり、藩が幕府に従わない構図が現れている。幕府からは将軍徳川慶喜の弟で御三卿清水家当主の徳川昭武、薩摩藩からは家老の岩下方平らが派遣された。薩摩藩が前年からイギリスに派遣を開始した留学生の何人かもこの出展に参加している。

30年以上前に見たドラマであるが、会津藩の武士である平沼銑次(菅原文太)と薩摩の郷士の苅谷嘉顕(加藤剛)がパリの街で、刀を抜いて争ったシーンは今でも覚えている。ちょんまげに刀をかざしていた侍の姿は当時のパリの人々を驚愕させたに違いない。

当時の幕府の派遣団は船と列車で56日の日数をかけて、パリに到着したという。船上にて、幕府の派遣団が毎日出される洋食に辟易して、『味噌汁がのみてぇ~』と連呼していたシーンが強く印象に残っている。現在は、東京からパリまでは飛行機で12時間程度で訪問でき、街では観光客をはじめとする日本人を多数見かける。多くのラーメン屋や寿司屋があり、中古本のブックオフまであるのだから当時の状況とは雲泥の違いである。

ビジネスでも日本とフランスのビジネスの関係は深まっているのではなかろうか。多くの企業がそれぞれの国に進出しており、日産とルノーの成功例を出す必要もないだろう。

実際、今回の訪問で、フランス人との距離は縮まっている気がした。打ち合わせをした全員が英語を話しており、つい10数年前まで、フランス人はビジネスでも英語をあまり話さないと言われていたのが嘘のようである。特に若い人が流暢に英語を操っている姿に感銘した。食事中に教えてもらったところ、欧州連合(EU)の後押しもあり、欧州の大学は交換留学制度が発展し、多くのフランス人が他の欧州国に留学しているという。話をした二人の若者もイギリスに留学していた。

フランスと日本はずっと近い国になったが、100年以上前に日本の派遣団がパリの万博で見せた初心を忘れずに、日本のビジネスマンも『侍』スピリットを持ち続けることが必要ではなかろうか。個人的にも菅原文太がパリの街で切り込んだような鋭いパフォーマンスを発揮できればよいのだが。。

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