2014年2月19日水曜日

大航海時代


リスボン・ベレン地区のテージョ川岸にある『発見のモニュメント』。この52mの高さの記念碑は20世紀に大航海時代を称えて建てられたものである。先頭にはエンリケ航海王子が川を見つめており、その後方に同時代の大航海時代を支えた探険家や宣教師、科学者、芸術家の像が並んでいる。

このモニュメントの前方の石畳には世界地図が記されており、ポルトガル人が発見した国々とその年号が示されている。そのあらゆる航路と多数の発見した国々により、ポルトガル人が如何に世界に挑んでいったかがわかる。日本の発見は、1541年になっており、ポルトガル船が豊後に漂着した年数のようだ。新大陸の発見で有名な1492年を探したが見つからず、1500年が記載されていた。これはイタリア人であるクリストバル・コロンブスによる発見ではなく、ポルトガル人であるアメリゴ・ヴェスプッチが発見した年号を採用した為であろう。

このようなポルトガルによる快挙は特筆されるべきものであり、これらの発見により、イスラム国やインド、さらに中国との交易は活発になり、金・塩・奴隷の貿易によりヨーロッパに大きな富をもたらした。アフリカのおいては、ケープベルデ、アンゴラ、モザンビークを殖民地化し、更に、アジアにおいては、インドのゴアやマカオにもその拠点を構築していった。新大陸においては、ブラジルがポルトガルの領土となったのは誰もが知るところである。同国からは探検家のみならず、貿易商、宣教師が海を越えて未知の世界に向かっていった。彼らが家族から離れて、祖国を離れた心境はどのようなものだったのだろうか。当時は海外に行ったら生きて帰れるかわからず、決死の覚悟であったのは間違いないだろう。

実はちょうど20年前の同じ月にこのモニュメントに来たことがある。商社に就職をする直前であり、学生時代最後の休みを利用して南欧を旅した。当時も、冷たい風に吹かれながら、川岸を歩いてこのモニュメントにたどり着いた。少し大げさかもしれないが、これから海外でビジネスを行う人生に期待を抱きながら、大航海時代の探検家や貿易商に自らの人生を重ねようとした。

あれからちょうど20年が経ったが、時代は大きく進歩した。あの頃から比べて、格安で簡単に海外に行ける時代になったし、コミュニケーション方法も格段に向上した。スカイプのように世界中の人々と気軽に話せる時代が来ると誰が想像したであろうか。大航海時代とは雲泥の違いである。

ちなみに、私の商社における最初の仕事は、上司による手書きのアルファベットの文章を、テレックスに打ち込む仕事だった。そして、早朝、多くの海外事務所から送電され、帯のように繋がった3枚に重なったテレックスの紙を内容毎に切り取り、課長、担当者、ファイル用に配る仕事を行った。課内では『環境美化委員』という変わった役割を拝命し、ファイルを整理したり、机を綺麗にする地味な仕事も行った。まさに繊維問屋の丁稚奉公による雑巾掛けである。当時はそのような商社の伝統がまだ生きていた。商社に入ったら、すぐに海外に行き、外国語を駆使して商談をできると思っていた私の期待は大きく裏切られた。1年近く経った頃、初めての出張で中南米に訪問した際は、あまりにも嬉しくて、このまま日本に帰るのをやめようかと真剣に思った。

しばらくすると、丁稚奉公的な仕事も徐々に減っていった。数年すると海外事務所や顧客との交信はテレックスからイーメールに取って代わり、パソコンも課に一台だったのが、一人一台を持つ時代となった。しかし、忙しいのは変わらない。商社では若い社員が奴隷のように働くのは当たり前であり、毎日夜中まで働き続けた。いつも自宅に帰るのは終電か夜中のタクシーであり、土日のどちらかは必ず働いた。いつも睡眠不足で、運動する時間もなく、慢性的な疲労に晒されていた気がする。正直、効率も悪く、よく先輩から怒られた。腐った気持ちになった時期もあったが、仕事の厳しさはそれが当然だと思っていた。

テレックスと世界に散らばる海外駐在員という強力なネットワークに支えられた商社であったが、海外とのコミュニケーションが容易になったこともあり、製造業者に中間マージンが削られていった。商社冬の時代になり、バブル時代に生んだ負債の清算とも重なり、あらゆる商社で、大幅なリストラや、合従連衡が実施されたのは入社して5~6年が経った頃である。

その後、外資系に転職したが、振り返ってみると、商社時代も含めて多くの国に訪問することができた。華僑やインド人、アメリカ人ともビジネスを行い、様々な分野の商売やプロジェクトに携わることができた。華僑のパートナーとともにマレーシアからシンガポールにかけて港のプロジェクトに関わった。アメリカのコンビニエンスストアに日本の省エネ機器を売り込んだこともあった。結局、海外の大学院にも行けたし、色々な国の人が集まる国際的な組織にて働くこともできた。今考えると、若い頃、丁稚奉公をしたお陰で、徐々に幸運が回ってきたのではないかと思っている。

20年ぶりにリスボンの『発見のモニュメント』に来て、どのような心境の変化があるかと思ったが、実は当時の若かりし気持ちとあまり変わっていない事に気がついた。多少は鈍くなったが、今でも、海外に訪問するのは刺激的であるし、今回、ポルトガルのビジネスパートナーと商談をするときも冷や汗ものであった。老若男女問わず優秀な人達と議論したことも大きな収穫となった。

バスコダ・ガマ、アメリゴ・ヴェスプッチ、バルトロメウ・ディアスが新たな国を発見した時はさぞかし心が躍ったのであろう。その頃から比べると、世界は圧倒的に狭くなった。しかし、現代の大航海も大いに刺激的である。しばらくこの冒険はやめられないだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿