2013年12月22日日曜日

ネルソンマンデラを偲ぶ

アフリカではネルソンマンデラの死を悼しむ様子が続いている。死去から既に2週間以上が過ぎたが、新聞、雑誌はこぞって特集を組み、同氏の偉業を称えている。

私は同氏が亡くなった12月5日にケニアにいたが、その反応は凄まじかった。その悲報はあらゆるメディアを通して、瞬く間に人々に伝えられた。

翌日にアフリカ人の友人達と食事をした際のこと、年輩のルワンダ人がマンデラのことを名残惜しそうにしていたのが印象的であった。

その金曜日の食事はルワンダ人、ケニア人、ウガンダ人、日系アフリカ人の間で親睦を深めるために行われたが、飲酒も手伝ってか、それぞれが本音で話しをする会となった。マンデラの悲報と共に、アフリカの各諸国の宗主国からの独立の話題が大変興味深かった。その3カ国が植民地から独立したのは1960年代前半であり、その年上の友人が、子供の頃は宗主国の植民地下にて育ったというのは驚きであった。

それらの話を聞いて、アフリカの独立運動とはさほど遠くない過去の出来事であり、特に上の世代のアフリカ人にとっては、マンデラのアパルトヘイト撤廃運動とは宗主国からの独立運動と重なるようである。そして、白人支配からの脱却に貢献したという思いが強いという印象を持った。

さて、そのルワンダ人によると、ネルソンマンデラは27年を獄中で過ごし、大統領として在籍期間はわずか4年であったという。それと対比して、ウガンダのムセベニ大統領は4年間服役し、27年間大統領として君臨している。その友人は、ムセベニ大統領と比較して、マンデラの人生の悲惨さを嘆いていたが、同時に、長期の服役に対しても屈しなかった精神を称えていた。

収監中、マンデラは学ぶことを決して諦めず、仲間同士でグループをつくっては、ソクラテスを研究するセミナー等を行い、公正で平等な社会を実現するために議論を重ねた。そしてその間、南アフリカ大学の通信課程により、法学士号を取得している。また、マンデラは他の政治犯の服役者にも学ぶことを奨励したという。

そしてそのマンデラが残した名言。「監獄で27年も過ごせば人生は無駄になったと人は言うかもしれない。だが政治家にとって最も重要なのは、自分の人生をかけた理念がまだ生きているかどうか、その理念が最後には勝利しそうかどうかだ。そして、これまで起きてきた全てのことが、我々の犠牲が無駄ではなかったことを示している。」

現在、南アフリカでは、ブラック・ダイアモンドと言われる中間層が育っている。彼らは高い教育と知識を擁し、自信に満ちている。アパルトヘイトが撤廃されたのは90年前半の出来事であり、これらの新たな層が育ってきたのはわずか最近のことである。つまり、マンデラの不屈の精神と学ぶ姿勢が無ければ、アパルトヘイト撤廃は実現せず、これらの希望に満ち溢れる中間層は育っていなかった。改めて、マンデラの偉業とその精神に対して敬意を表したい。

 

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