2013年3月17日日曜日

海洋国家カルタゴの終焉(ポエニ港にて)


ローマ帝国の将軍であるスキピオ・エミリアヌスに仕えていたポリュビオス(BC204~BC125)が著した『歴史』によると、カルタゴ人は他の国の誰よりも海事に従事していたという。その海軍は継続的に300~350の軍艦を地中海全体に派遣し、他国の監視を行っていたという。

また、塩野七生が著した『ハンニバル戦記』によると、第1次ポエニ戦争以前の、BC342における協定では『ローマはサルディーニャとコルシカの二島以西の西地中海全域の通商を禁止され、一方でカルタゴの通商権はカルタゴの任意とした』というローマにとって極めて不平等な条約が締結されていたようだ。

第一ポエニ戦争(BC264~BC241)迄は、農耕民族であるローマ人は船と呼べるような船も持っておらず、如何にカルタゴが地中海において圧倒的な支配力を持っていたかがわかる。カルタゴは『ローマ人はカルタゴの許可がないと地中海で顔を洗うことも出来ない』といわれるほど、海洋国家としての自信に溢れた時代を謳歌していたようだ。

しかし、3回に及ぶポエニ戦争(BC264~BC146)にて、カルタゴはローマ軍に敗北を喫した。第3次ポエニ戦争(BC149~BC146)の結末は、3年間の籠城戦の後、カルタゴ市街の残った建物は徹底的に破壊され、生き残った5万人のカルタゴ人捕虜は全員奴隷となったという。カルタゴには永遠に人も住めず作物をできないようにローマ軍によって塩がまかれた話は有名である。

ポエニ港(軍港)
本日、そのカルタゴにあるポエニ港に行ってみた。ちなみにチュニジアの冬は意外と長い。振り返ると4か月間は寒い時期を過ごしていることになる。今週は暴風雨が吹き荒れる寒い日々が続いてたが、週末になり、ようやく春らしい穏やかな天気になったので、その周辺を探索してみた。

そのポエニ港は、現在は一見、池にしか見えないが、よく観察するとカルタゴ時代の軍港と商業港の面影を垣間見る事ができる。第3次ポエニ戦争(BC149~BC146)後はこの港は荒廃していたが、ローマ帝国がAD2世紀に、二つの神殿が立つ円形の港として再建したという。現在、陸続きになっている港の中央の小島では『カルタゴ時代の軍港』と、『ローマ時代の港』の二つの復元模型がある。

カルタゴ時代の軍港
『ローマ史』の作者アッピアノスによると、カルタゴ時代の軍港内の円形のドームには220船のカルタゴ軍船(3段オール式ガレー船)が停泊出来るように、各ドックが壁によって仕切られたスペースがあったという。その階上は設備用の倉庫になっていたようだ。軍港全体は半径が160M、円周1020Mであり、中央のドーム型の船場は半径120M、円周は332Mであったという。ドームの復元模型を見ても、船が停泊できるドックが細かく分かれており、紀元前にこのような洗練されたインフラが構築されていたのは驚きである。

また、隣接する商業港は幅が150M、長さが400Mであったという。約21Mの入口を経て、軍艦も商船も港に入ってくる構造になっていたようである。(上記カルタゴ時代のポエニ港の絵を参照。)

ローマ帝国時代の輸出港
(以前はカルタゴの軍港)
その後、ローマ時代に再建された港は、『軍港』から『輸出港』に変貌を遂げたようだ。前述した二つの神殿も、模型において見ることができる。その小島の警備員の説明によると、この輸出港からオリーブや小麦粉がローマ帝国に輸出されたという。カルタゴはローマの属州となり、その肥沃な土地はヨーロッパ人の食糧庫となったようである。

上述した『ハンニバル戦記』の第3次ポエニ戦争に関する記述によると、ローマ軍の総司令官『スキピオ・エミリアヌス』はカルタゴ籠城戦3年目(BC147~BC146)の冬期の自然休戦期を利用して、ローマの元老院に使者を送り、カルタゴの首都の処遇について指示を仰いだという。ご参考までに『スキピオ・エミリアヌス』は、第二ポエニ戦争時にハンニバルをザマの戦いで破った『スキピオ・アフリカヌス』の養孫にあたる。

当時38歳であったスキピオ・エミリアヌスはカルタゴの運命を一人で決定することに躊躇ったようである。そしてBC146の春になり、元老院からカルタゴを“落城”する指示が届いた。


ローマ軍が閉鎖した商業港
(左の奥がその入口)
 
BC149からの籠城後、BC146の春には、海と港をつなぐ入口は、ローマ軍が築いた堤防により完全に封鎖されていた。海側から進行を開始したローマ軍に対し、カルタゴ側は、外港の周囲に並ぶ倉庫や造船所に火をつけることで対抗したという。その火の中で市街戦がはじまったようだ。そして7日目にカルタゴは神殿の並び立つビルサの炎上で落城したという。

歴史家のポリュビオスはカルタゴが崩壊する現場に居合わせていた。ポリュビオスの記述を再現したアッピアノスの『ローマ史』によると、『スキピオ・エミリアヌスは眼の下に広がるカルタゴの都市から、長い間眼を離さなかった。建国から700年もの歳月を経て、その間長く繁栄を極めていたカルタゴの都市が落城し、瓦礫の山と化しつつあるのを眺めていた。』 そして、スキピオ・エミリアヌスは、敵のこの運命を想って”涙を流した”といわれてる。

スキピオ・エミリアヌスは言った。『ポリュビオス、今我々は、かつて栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち合っている。しかし、わたしの胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかはわがローマ帝国もこれと同じときを迎えるであろうという哀感なのだ。』

2159年前の同じ場所、同じ季節に起きた歴史の一幕である。本日はポエニ港を歩きながらカルタゴの歴史に思いを馳せた一日であった。

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