2013年1月24日木曜日

米国大使館・スクールへの襲撃(1)

2012年9月14日(金)はチュニジアの歴史の中でも汚点となる日であろう。何百人というチュニジア人のデモが米国大使館に向かい、外壁をよじ登り、投石をし、火炎瓶を投げ、窓ガラスを破壊し、車両や建物を放火したのだ。暴徒化した一派は米国大使館のみならず、近くの街道を超えて、アメリカンスクールに向かった。スクールバスを放火するのみならず、建物にも侵入し、価値のあるものを略奪していった。
 
あの日は『何かが起こるであろう』と同僚の間で噂になっていた。イスラム国で暴動が起きるのは必ず金曜日である。モスクでの礼拝後に、高揚した人々が暴徒化したのは予想した通りであった。
   
この一連のイスラム諸国における暴動の動きは、カリフォルニアで作成された映画が『イスラム教の預言者(Prophet)を侮辱している』という大衆感情から火がついた。9月11日(火)にリビアのベンガジにおいて、米国大使をはじめ3人の大使館関係者が殺害された。翌日9月12日(水)、チュニジアの米国大使館においてもデモが発生する。同日18:30頃に私は現場を訪れた。大使館前の道は閉鎖されていたが、裏道で辿り着けた。辺りは既に暗くなり始めていた。デモは警察に鎮圧されていたが、現場は野次馬とメディアでごったがえしていた。話を聞いたところ、暴徒したデモは投石を行い、警察が催涙ガスを使用して沈静化したようだ。

(勤務先から撮影、奥の黒煙は
米大使館からのもの。)
9月14日(金)を目前として様々な噂が飛び交っていた。チュニジア政府が戒厳令が出すのではないかとか、会社が半休になるのではないかという噂である。同日は、通常勤務であったが、午後になって米国大使館で何百人というデモが勃発したというニュースが入ってきた。『やはり起こったか』というのが正直な感想である。その後、しばらくして、同僚が『アメリカ大使館の方角から黒煙が上がっている』という。ビルの屋上に上がってみた。はっきりと黒煙が舞っているのが見えた。勤務先は米大使館より10数キロの離れている場所にあるが、単なる催涙ガスにしては黒煙の量が多すぎる。『何かが起きている』事を察した。

メールやインターネットから様々なニュースが入ってきた。暴徒化したデモはアメリカンスクールにも向かったという。既に時刻は夕方近くになっていた。自宅に帰る為には米国大使館裏の街道を通らなければならないが、街道は閉鎖されているという。迂回すると交通渋滞で相当な時間がかかる。しばらく会社で待機していたが、結局、19:00前に会社を出た。正直、身の危険を感じたのを覚えている。当時の残したメモによると、『アメリカ大使館裏の街道を通ったが、相当量の黒煙が舞っていた。大通りにはおびただしい投石されたあとがあり、デモのすさまじさを感じた。』と記されている。大使館とアメリカンスクール間の街道には橋があるが、橋にはイスラム過激者(サラフィスト)の旗を掲げたデモの一派がまだ残っており、不穏な雰囲気が漂っていたのを覚えている。自宅でFrance24のニュースを見て、デモと警察の衝突で数人の死者が出た事を知った。


 
翌日にアメリカスクールに訪問してみた。この学校は夏休みに家族と共に見学に来たばかりである。将来娘が通う学校として考えていたからである。多くの友人の子女もこの学校で学んでおり、他人事と思えなかった。(ちなみに14日は、午前中で学校が終わり、先生や生徒に被害はなかった。)中に入ってみて愕然とした。バスや車両のみならず建物も燃やされていた。この学校はチュニジア人も含めた世界各国の子女が通っている。暴力行為が映画とは無縁の教育の場まで及んだことは許しがたい行為である。
 

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