2013年6月5日水曜日

チュニジアにおけるギリシャ美術品


『征服されたギリシア人が、猛きローマを征服した』ということわざがある。これはローマが軍事的、政治的にギリシャを征服したが、哲学、文学、芸術等の文明については、ローマは洗練されたヘレニズムに及ばなかったということらしい。

紀元前146年にギリシャはローマ帝国の支配下に入る。ローマ帝国支配下においてもその文明は繁栄し、その影響力の大きさから、ギリシャは『ヨーロッパ文化のゆりかご』と称されることもあるという。その後、紀元前88年にアテネや他の都市がローマ帝国に反乱を試みる第一次ミトリダデス戦争が起こるが、ローマの将軍のスッラに制圧されている。 

このような洗練されたギリシャの哲学、文学、芸術にローマ人は傾倒していたという。特にローマの上流階級にとってはギリシャから美術品に囲まれて生活する事が最高のステータスであったようだ。多くの美術品が売買されたのみならず、略奪も横行したようだ。

チュニジアのバルドー博物館の中に一際目立つ、数々の青銅の像や、大理石彫刻、壷、宝石等の美術品がある。その美術品は紀元前の4世紀から紀元前1世紀のギリシャのコレクションであるようだ。これは、紀元前の1世紀頃にアテネ近郊ピラウス港からローマに向かう船がチュニジアのマハディア沖で難破し、後にその沈没した船から回収した美術品であるという。

その美術品を運ぶ輸送船は、アテネからローマに向かうところで暴風雨等による何らかな天候上の理由でチュニジアに漂流したようだ。チュニジアはギリシャを征服したことがないことから、これらの大量の美術品はローマの上流階級に対して輸送する為であることが推測されている。この美術品の超一流の質と、年代を超えたコレクションから、ローマ帝国の将軍スッラが輸送を命じたのではという説もある。第一次ミトリダデス戦争後の出来事である。

実際にバルドー博物館においてこららの美術品をしばらく眺めたが、その繊細で表情豊かな彫刻のレベルは、その後のローマ帝国の美術品を圧倒していた。まるで『ギリシャ神』が生きたまま青銅に化身しているような錯覚に陥ったほどである。とても紀元前の美術品とは思えなかった。

これらの美術品は、1900年頃にマハディアにおいて、海綿動物を採取するダイバー達によってその沈没した船が発見され、その後、フランスの保護領下にあったチュニジア政府によって回収されたという。ダイバー達が、40m底に沈んでいた船の中からこれらの美術品を発見し、その後、それらを陸まで運んだ時には心が震えたに違いない。

週末にバルドー博物館に訪問したのはローマ時代のモザイク画を見学する為であった。しかし、その一際目立つギリシャの美術品の美しさに見入ってしまった。まさに『神の国ギリシャ』に脱帽である。

【参考資料】

0 件のコメント:

コメントを投稿