2013年10月18日金曜日
ベルベル人とフェニキア人の融合(ポエニとは)
日本ではポエニ(英:Punic)とはフェニキア人のことを指すと言われているが、チュニジア人に言わせるとその意味合いは多少異なるようである。ポエニとは、紀元前8世紀前から北アフリカに住んでいたベルベル人と、テユロス(レバノンのスール)から来たフェニキア人の融合した民族、又はその融合した文化を指すようである。
その二つの文化であるが、ギリシャに敗北したヒメラ戦争(紀元前480年)後にその融合が急速に進んだようだ。フェニキア人の神であるバールはベルベル人の神であるアモンと融合し、バールハモン(Baal-Hammon)となり、フェニキア人の女神のアスタルトはベルベルの女神であるタニト(Tanit)と統一していったという。第一次ポエニ戦争が始まる紀元前3世紀頃にはこの二つの民族は完全に一体化していったようだ。
さて、このベルベル人と、フェニキア人の二つの民族の遭遇はどのように起こったのであろうか。昨日、カルタゴにあるローマ住居に訪問した際に年配のガイドより興味深い話を聞いた。
そのローマ住居はカルタゴの大統領官邸と隣接しており、地中海が一望できるロケーションである。そのガイドが、濃い青色に染められた地中海を指さしながら言った。『中東からディドーが大きな船と共に大勢の家来を率いて、両手を広げながら陸に近づいてきた。』これを見たベルベル人は驚愕の眼差しでその船に見入ったという。紀元前814年頃の話である。日本人が、ペリー来航した時の『蒸気船たった四杯で夜も眠れず。』という心境と同じであろうか。または、マヤ人がスペインから来たコルテスを見たときの驚きに似ているのであろうか。
さて、そのガイドによると、フェニキア人とは、旧約聖書に記載されているノアの孫であるカノン(ハモンの息子)であり、ユダヤ人の末裔であるという。そのフェニキアの都市国家テュロス(レバノン)の国王の娘のディドー(幼名エリッサ)は、叔父のシュカイオスと結婚をしていた。しかし、父の死去の際に、兄のピュグマリオーンと彼女が共同で国を治める旨、遺言されたが、兄が王位の独占と叔父の財産を目当てにディドーの夫である叔父シュカイオスを暗殺し、ディドーも暗殺しようとしたという。そのような経緯から、傷心のディドーは全てを投げ捨てて家臣たちと共に航海で出たという。
そして、ディドーがカルタゴに着いた際に、ベルベル人の王様であるイアルバースに土地の分与を申し入れ、イアルバースには牛の皮(ビルサ)1枚で覆える範囲の土地しか譲れないと言われたが、その皮を細かく引き裂いて土地を取り囲み、砦を築くだけの土地を得たという。この土地が現在の『ビルサの丘』である。カルタゴとは『カルト・ハダシュト』のローマ読みであり、フェニキア語で新しい町を意味する。
そのディドーの才能を見たイアルバースは彼女に惚れて求婚した。しかし、亡き夫の死の際に決して再婚しないと誓っていた彼女は申し入れを受け入れられなかった。最終的には、イアルバースとの結婚の準備をするという名目で火葬を準備し、『夫の元に戻る』という言葉を残して、剣で自害し、炎に飛び込んだという。悲しい結末である。
その後、ディドーは神格化され、月の神、又、ある時はアスタルト(女神)として崇められた。フェニキア人にもべルベル人にも愛された存在であったのであろう。その後、ディドーはーベルベル人の神であるタニトに融合され、チュニジアの文化に深く刻まれているようである。
昨日は犠牲祭(イード)の為、休日であったが、日本から両親が来て、妻、娘も含めて3世代によるチュニジア見物となった。フランス語と英語が混じったガイドの1時間以上にも及ぶ演説は聞きごたえがあった。日本への土産話に相応しいメロドラマティックなストーリーであり、年老いた両親が大喜びをして聞いていたのが嬉しかった。
【参考資料】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%88
http://www.thaliatook.com/OGOD/tanit.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Berber_mythology
http://en.wikipedia.org/wiki/Canaan_(son_of_Ham)
http://en.wikipedia.org/wiki/Dido_(Queen_of_Carthage)
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