2013年12月27日金曜日

イスタンブールの世俗主義 

クリスマスのイスタンブール。新市街の中心であるタクスィム広場では、白のイルミネーションで輝くクリスマスツリーが眩い。どうやらこの世俗国家は資本主義の波に襲われてるようだ。街には、伝統的なカフェやレストランと共にバーやクラブ、そして、BurgerKing、KFC, Starbucks、PizzaHut等の西側の店舗が立ち並ぶ。ブルカやヒジャブを纏う女性はほとんどいない。チュニジアとは様相が異なり、ここは本当にイスラム教国かと疑いたくなる。

かつてはこの都市はコンスタンティノポリスと呼ばれ、ビザンチン帝国やオスマン帝国の首都であった。市域がバルカン半島のヨーロッパ側と、アジア側の両方あり、特徴的な様子を浮き彫りにしている。東西文明の架け橋となっており、ヨーロッパ、北アフリカ、中東アジアとの交易地として栄えたという。現在でもボスフォラス海峡には数々の大型船舶が浮かび、貿易で栄えた様子が垣間見れる。この都市の壮大さは、チュニジアがビザンチン帝国とオスマン帝国のあくまで一周辺国であったことが実感させられるほどである。


本日、トルコ観光として欠かせないアヤソフィア博物館に訪れた。近年までモスクとして利用されていたが、元々は東方正教会の聖堂であったという。この聖堂は350年頃、ビザンチン帝国のコンスタンティヌス2世により建設がはじまり、2度の焼失を経て、6世紀中頃に現在の基盤となった。1520年にセビリアの教会が建てられるまでは約1000年間、世界最大の教会であり、東方正教会のメッカであったというから驚きだ。ガイドによると、当時は、ギリシャ、ルーマニア、ブルガリア、セルビア、ロシアから多くの信者が訪れ、この聖堂は現在のバチカンのような存在であったという。1453年にオスマントルコがコンスタンチノープルを征服してからイスラム教のモスクに転用された。

かつてキリスト教の聖堂であった面影は今でも残されている。正面入口の『キリストと皇帝』のモザイク画にはイエスに跪いている皇帝の姿が描かれている。ガイドによると、その姿は皇帝が献金を捧げている様子であり、献金をすることによって教会の歴史に刻んでもらったという。しかし、その説明には疑問が残る。むしろ、教会が絶対的な力を誇示する為に、皇帝を利用したのではなかろうか。あまりにも皇帝の姿がぶざまである。

更に聖堂の奥に入っていくと、壁側には十字架が描かれており、天井の半ドームには聖母マリアが映し出されている。チュニジアでも見ることができるビザンチン時代の特徴である幾何学的なモザイク画も見受けられた。一方で壁には多くのイスラム教の装飾やアラビア文字が加えられているが、かつてのキリスト教の面影と混在しており、正直、教会なのかモスクなのか見分けがつきにくい。

ビザンチン帝国の傘下にあったチュニジアが、7世紀にアラブにイスラム教化されたのとは対象的に、トルコは長い間キリスト教の歴史があり、イスラム教の歴史はけっして長くはない。アヤソフィアに隣接するスルタンアフメト(ブルーモスク)は1617年に建造されている。現在はイスラム教徒が99%以上を占めるトルコであるが、オスマン帝国時代には他宗教にも寛容であったようである。オスマン帝国は第一次大戦の敗北を契機に崩壊したが、1923年にアタチュルクを首班とする正教分離のトルコ共和国が建国され、イスタンブールは世俗国家の首都してスタートしたという。

チュニジアもフランスによる保護領時代の影響もあり、世俗主義を標榜しているが、イスタンブールと比較する限り、その様相は異なる。トルコでも世俗主義に対する反発はあるものの、緩やかな世俗社会が形成されているのは、その歴史課程による影響なのだろうか。それとも近年押し寄せてきている資本主義の波に飲み込まれつつあるからなのであろうか。久しぶりにKFCのフライドチキンをほうばり、クリスマスツリーを眺めながら、その異なる歴史について考えさせられた。

【参考資料】
Hagia Sofia Museum Guide
http://www.assetmanagement.hsbc.com/jp/attachments/monoshiri130901.pdf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2

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