かつて通っていた飲み屋のバーテンダーのお兄さんは、ネグロイド系でサブサハラ諸国から来たのかと思いきや、ほとんどアラビア語しか話せないチュニジア人だった。聞けば、南部のサハラ砂漠の出身であるという。また、先日、会社の医務室に行った際に、事務の女性がフランス人風の顔立ちであり、出身を聞いたところ、トルコ系のチュニジア人であった。曽祖父母の時代にトルコの方からチュニジアにやってきたそうだ。スポーツジムの受付の女性は、背が高く、色が白いがこの人はアルジェリア国境近くのベルベル系であるという。
昨日、ローマ遺跡のドゥッガに訪問した際には、(日本人が珍しいらしく)、出くわしたル・ケフ(Le Kef)から来た小学生の団体に質問攻めにあって困ったが、子供たちの顔立ちや肌の色も十人十色であった。褐色の子供もいたし、白系のヨーロッパ人やアジア人風の顔立ちの子もいた。皆、笑顔が絶えない良い子達ばかりであった。
ヴァンダル王国初代君主ガイセック |
ヴァンダル族の起源については様々な議論があるようであるが、インターネットの情報によると、かつての、アングロサクソン系であるスカンジナビアの起源説よりも、現在のポーランドを中心に発展したプシェヴォルスク文化を起源としている説が強いようである。プシェヴォルスク文化はウクライナから西に進出したスラブ系の文化と、イリュリア系と言われるユーゴスラビア地帯のラウジッツ文化が混合したものであるという。何れにせよ、ヨーロッパの北部を中心とした民族である事は間違いないようである。
ヴァンダル王国の最大勢力図 (真ん中下がチュニジア) |
ヴァンダル王国の首都はカルタゴであり、チュニジアの北西にあるベジャ(Beja)も重要な都市であった。前述した遠足に来ていた小学生は比較的ベジャに近いル・ケフから来ており、子供達がヨーロッパ人風の顔つきの子が多かったのは、ひょっとしたらヴァンダル族の末裔かもしれない。
ヴァンダル王国は悪政が原因で国力が低下し、かねてよりローマ帝国の復興を企図していた東ローマ(ビザンチン)帝国のユスティニアス帝によって滅ぼされる。ヴァンダル王国と東ローマ帝国の戦闘はスース、ハマメット、ボン岬、アド・デキムムというカルタゴの近郊で行われたという。最後はのチュニスの湖の近辺でも戦いが行われたようだ。私の家のまさに近所である。そして、534年、国王であったゲリメルは降伏し、ヴァンダル王国は滅亡した。
ケリビアの城塞 (この先にはシシリー島がある。) |
かつて、友人からチュニジアは”玉ねぎ”のような国であると言われたことがある。剥いても、剥いても、何枚も異なる皮(側面)を持っているのという意味である。正直、チュニジアは複雑ずぎて、判らない事ばかりである。まだまだ訪問していない場所も多い。この国の本当の姿はもう少し探索しないと判らないのかもしれない。
【参考資料】
Kelibia et sa forteresse, Neji Djelloul
Histoire de la Tunisie, Habib Boulares
http://looklex.com/e.o/vandals.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Vandalic_War
http://en.wikipedia.org/wiki/Vandals
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Ad_Decimum
地球の歩き方、チュニジア
もういちど読む『山川世界史』
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