2013年4月6日土曜日

ヴァンダル族とチュニジア人

チュニジアに住んで1年と4カ月が経つが、チュニジアの多様性には常に驚かされている。太古の時代から多くの民族が侵略を繰り返し、異種文化が混じりあってきた国であるというのを実感している。人々の容姿に限っても背の高さ、髪の色、目の色、顔だち等、千差万別である。一般的なチュニジア人というステレオタイプを構築する事は不可能であろう。

かつて通っていた飲み屋のバーテンダーのお兄さんは、ネグロイド系でサブサハラ諸国から来たのかと思いきや、ほとんどアラビア語しか話せないチュニジア人だった。聞けば、南部のサハラ砂漠の出身であるという。また、先日、会社の医務室に行った際に、事務の女性がフランス人風の顔立ちであり、出身を聞いたところ、トルコ系のチュニジア人であった。曽祖父母の時代にトルコの方からチュニジアにやってきたそうだ。スポーツジムの受付の女性は、背が高く、色が白いがこの人はアルジェリア国境近くのベルベル系であるという。

昨日、ローマ遺跡のドゥッガに訪問した際には、(日本人が珍しいらしく)、出くわしたル・ケフ(Le Kef)から来た小学生の団体に質問攻めにあって困ったが、子供たちの顔立ちや肌の色も十人十色であった。褐色の子供もいたし、白系のヨーロッパ人やアジア人風の顔立ちの子もいた。皆、笑顔が絶えない良い子達ばかりであった。

ヴァンダル王国初代君主ガイセック
実はチュニジア人のルーツをたどるとヨーロッパの北部の血も交じっているようである。それは、かつてヴァンダル族が、ローマ帝国末期にヨーロッパ中央部に侵入し、現在のチュニジアを含む北アフリカにヴァンダル王国を建国した為である。

ヴァンダル族の起源については様々な議論があるようであるが、インターネットの情報によると、かつての、アングロサクソン系であるスカンジナビアの起源説よりも、現在のポーランドを中心に発展したプシェヴォルスク文化を起源としている説が強いようである。プシェヴォルスク文化はウクライナから西に進出したスラブ系の文化と、イリュリア系と言われるユーゴスラビア地帯のラウジッツ文化が混合したものであるという。何れにせよ、ヨーロッパの北部を中心とした民族である事は間違いないようである。


ヴァンダル王国の最大勢力図
(真ん中下がチュニジア)
ヴァンダル王国の初代の君主となったガイセックは紀元後429年に8万人を率いてヨーロッパからアフリカに渡り、モロッコやアルジェリアの街、そして、カルタゴを包囲し占領した。、カルタゴ港内にあったローマ帝国の海軍の艦船の大部分が拿捕されたという。442年にローマ帝国はアフリカ属州が征服されたことを公に認め、ヴァンダル王国を承認した。ヴァンダル族の北アフリカの支配は100年近く続いた。その統治の方法は現地人からの搾取によるスタイルであったようだ。ヴァンダル王国時に、建築された新たな建物や文化的施設はほとんど皆無であるという。

ヴァンダル王国の首都はカルタゴであり、チュニジアの北西にあるベジャ(Beja)も重要な都市であった。前述した遠足に来ていた小学生は比較的ベジャに近いル・ケフから来ており、子供達がヨーロッパ人風の顔つきの子が多かったのは、ひょっとしたらヴァンダル族の末裔かもしれない。

ヴァンダル王国は悪政が原因で国力が低下し、かねてよりローマ帝国の復興を企図していた東ローマ(ビザンチン)帝国のユスティニアス帝によって滅ぼされる。ヴァンダル王国と東ローマ帝国の戦闘はスース、ハマメット、ボン岬、アド・デキムムというカルタゴの近郊で行われたという。最後はのチュニスの湖の近辺でも戦いが行われたようだ。私の家のまさに近所である。そして、534年、国王であったゲリメルは降伏し、ヴァンダル王国は滅亡した。

ケリビアの城塞
(この先にはシシリー島がある。)
先日、ボン岬にあるケリビアに訪問したが、その丘の上の城塞の壮大さには感動した。この城塞は東ローマ(ビザンチン)帝国の時代に要塞化されたという。100年もの間、ヴァンダル族に北アフリカの支配を許した反省から、強固な防衛システムを構築しようとした意図が垣間見れる。ボン岬はシシリー島から約120KMに位置しており、ギリシャからも近い。国家の防衛という観点において重要な拠点であったということだろう。

かつて、友人からチュニジアは”玉ねぎ”のような国であると言われたことがある。剥いても、剥いても、何枚も異なる皮(側面)を持っているのという意味である。正直、チュニジアは複雑ずぎて、判らない事ばかりである。まだまだ訪問していない場所も多い。この国の本当の姿はもう少し探索しないと判らないのかもしれない。

【参考資料】
Kelibia et sa forteresse, Neji Djelloul
Histoire de la Tunisie, Habib Boulares

http://looklex.com/e.o/vandals.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Vandalic_War
http://en.wikipedia.org/wiki/Vandals
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Ad_Decimum
地球の歩き方、チュニジア
もういちど読む『山川世界史』

0 件のコメント:

コメントを投稿