2013年4月30日火曜日

多神教と一神教の違いとは



農耕の神サトゥルヌスの神殿
(フォロ・ロマーノ)
塩野七生著の『ローマは一日にして成らず』によると、ローマ帝国における宗教は多神教であり、ローマを強大にした要因は、ローマ人にとっての宗教とは精神的な支えに過ぎず、他の宗教に対しても排他的ではない性格にあったという。ローマの神とはあくまで“守り神”の役割を担っていたようだ。

昨年の夏にローマに訪問した際にも、先日ドゥッガに訪問した際にも、ローマ帝国時代に建てられた神殿の数の多さに驚いた。ローマの宗教とは、他の民族の神を排除しないどころか融合させ、自らの神として取り入れていったようだ。

ローマ市内にあるフォロ・ロマーノに訪問した際には、農耕の神の『サトゥルヌス(上記写真)』や火の神の『ヴェスタ』、女神の『コンコルディア』、そして『アントニヌス帝』やその妻の『ファウスティーナ』の神殿が祀られてあった。ローマ帝国は数々の守り神を創ったのみならず、時の為政者までも神格化して祀っていたようである。
海の神ネプチューン神殿
(ドゥッガ)

ご参考までに、ローマの神話はギリシャ神話の影響を多大に受けており、ギリシャの神をローマ神話にも取り込んでいる。例えば『ユピテル』は元々ギリシ
ャの神の王である『ゼウス』であるし、その妻の『ユノ』はギリシャ神話の『ヘラ』である。海の神の『ネプチューン』は『ポセイドン』からきている。

先日、ドゥッガを訪問した際には、ローマ神話の主神である『ユピテル』や、学業・商業の神である『ミネルバ』や、海の神『ネプチューン』、太陽の神である『ソル』、死者の神である『プルトン』、その他、カルタゴの主神である『バール・ハモン』やその妻である『タニト』までも祀られていた。

バールハモン・サトゥルヌス神殿
(ドゥッガ)
カルタゴの『バール・ハモン』はローマ神話の農耕神である『サトゥルヌス』と一体化され、『タニト』は、ユピテルの妻である『ユノー』に一体化されていったようである。支配した民族の神を排除せず、ローマの神と一体化することによって、融合化を図っていった意図が垣間見れる。


ところが、ローマにおいてこの寛容な多神教の風土が、徐々に一神教の文化に傾いていったようだ。313年のコンスタンティヌス皇帝が勅令したミラノ勅令によって、キリスト教は他の全ての宗教と共に公認される。更に、テオドシウス帝は380年にキリスト教をローマ帝国の国教と宣言した。ローマ帝国においては上流階層による古典(多神教)信仰はその後もしばらく生き残っていったようであるが、その後、ヨーロッパ全体がキリスト教に染まっていったのは周知の事実である。

北アフリカにおいては、3世紀末からキリスト教が先住民を取り込むようになっていたという。スース等の各地域においてキリスト教の古代教会のカタコンベ(地下墓地)が発掘されており、ドゥッガにおいてもビクトリアの教会という4世紀後半から5世紀に建てられた教会の遺跡を見ることができる。  
シディ・ウクバ・モスク(ケロアン)

その後、7世紀より、アラブによる征服と支配下で、イスラム化が進み、キリスト教徒の数は激減した。ケロアンにはマグレブの最初のイスラム寺院、グランド・モスクが建設され、聖都として重要な役割を担った。
 
当時のチュニジアにおける政治、軍事並びに文化の中心地はケロアンであり、スンナ派四代法学派の一つであるマーリク派の法学派が発展し、多くの留学生が近隣諸国から集まったという。現在でもケロアンはイスラム世界ではメッカ、メディナ、エルサレムに次いで4番目に重要な都市である。
 

シディ・ウクバ・モスク(ケロアン)
先日、そのグランドモスクである『シディ・ウクバ・モスク』を見学したが、その壮大さには圧倒させられた。モスクの中に入ると、7世紀以降のチュニジアが急速にイスラム化していった理由がわかるほど、人々を惹きつける圧倒的な力強さを感じた。

現在、チュニジアの人口の98%がイスラム教徒であると言われている。サウジアラビア等に比べると戒律が厳しくないといわれているチュニジアでさえもイスラム教は社会や人々の生活の中に深く根ざしている。私が知るだけでも、その宗教観は日本人のそれとは全く異なる。
 

一体、一神教と多神教の違いは何なのか。上述した『ローマは一日にして成らず』によると、『一神教と多神教のちがいは、信じる神の数にあるのではなく、他の神を認めるか認めないか』にあるという。そして、『他者の神を認めるということは、他者の存在を認めるという』ことであるという。
過去の歴史を振り返ると、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の一神教による宗教の紛争は絶えない。中世の『十字軍』から、近代の『中東戦争』の紛争は多くの人が知るところである。最近は『湾岸戦争』や、『9.11』、そして、その後のイラク、アフガニスタンの紛争等も、宗教紛争の側面を持っており、その例は枚挙にいとまがない。

イスラム教も、ユダヤ教も、キリスト教も、元を正せば同じ神を崇拝している。どちらも自分たちが正統だといい、相手を異端と決め付けており、これらの対立が起こる事自体が非常に残念でならない。 ローマ時代にはその寛容的な思想により、宗教戦争は一切起きていない。かつてのように、他者の神、更には、他者の存在を認め、宗教対立がない世界に戻ることができないのであろうか。

参考資料】
ローマは一日にして成らず(上)、塩野七生著
チュニジアを知るための60章
DOUGGA, Mustapha Khanoussi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
http://en.wikipedia.org/wiki/Baal-hamon

0 件のコメント:

コメントを投稿