2013年5月18日土曜日

ポルトガル人の生き方とは

最近ポルトガルに興味がある。理由は大叔父がブラジル日系一世であったということもあり、その宗主国であることもその理由の一つだが、最大の理由は、同僚のポルトガル人達に“いい奴”が多く、彼らと馬が合うからである。

同僚にポルトガル人達の、その人となりや仕事ぶりを観察しているが、その性格はフレンドリーであるが、控えめで勤勉である。また、人に対して気配りをする繊細な性格は日本人にそっくりであり、親近感を持っている。他の人種に対する差別も極めて少ないという印象である。

先日、ポルトガル人の同僚の誕生日パーティーに行ってきた。チュニジアにいるポルトガル人が10人程集まったが、普段は、その控えめな性格が、酔うと陽気になったり、はしゃいだりする姿を見てるうちに、日本の学生時代の同窓会か、かつての会社の飲み会と錯覚を覚えるほど、その仕草が日本人と似ていると思った。

また、ポルトガル人の背丈や顔も日本人と似ている。一般的な日本人よりも目が大きく、鼻が高く、濃い顔をしているが、黒髪であり、九州や東北あたりにもいそうな顔の奴もいる。そのパーティーで食事をしている時に、隣に座っていたポルトガル人は、私の学生時代の友人にそっくりであった。他にも西郷隆盛の親戚かと思うような奴もいた。

ポルトガル人の何人かと食事をしながら歴史の話をした。彼らの説明によると、ポルトガルは、かつては七つの海を制した言われるほど、繁栄していた時代があったという。南米ではブラジル、アフリカではモザンビーク、アンゴラ、ケーブ・ベルデ、サントメ・プリンシペ、アジアでは、マカオ、東ティモールがかつてのポルトガルの植民地であった。普段は控えめなポルトガル人であるが、かつての歴史を語らせた時はそのプライドを覗かせていた。そういえば、以前マカオに行ったときに道路の標識が全て広東語とポルトガル語であった事を思い出した。現在は繁栄著しいブラジルに職を求めて移民するポルトガル人も多いという。

私が、16世紀に日本に鉄砲(火縄銃)の技術を伝えたのも、キリスト教を伝えたのもポルトガル人である事を伝えたら、知らない人が多く驚いていた。日本語のカステラ、ビスケット、カルタ、タバコ、天ぷらも全てポルトガルからの外来語である事を伝えたら、ポルトガル人は大喜びであった。

そのパーティーにはスペイン人も何人か来ていたが、その性格はポルトガル人とは大きく異なる。あくまで私の主観であるが、スペイン人の方が多弁であるが、多少ドライであり、ポルトガル人の方が若干恥ずかしがり屋であるが、人懐っこい(ウェット)であるという印象である。

更に、かつてはハプスブルグ家が繁栄していた16世紀頃には、ポルトガルはスペインに併合されていたことを指摘したら、ポルトガル人達は露骨に嫌そうな顔をしていた。『偶々、ポルトガル王国がハプスブルグ家に併合されていた時期はあるが、スペインとポルトガルとは歴史も民族も大きく異なる』と近くにいたスペイン人を気にしながらコメントしていた。隣国との関係も微妙なところもあるようである。


さて、そのポルトガル人であるが、皆、踊りがうまい。サルサをおどらせたたら天下一品である。サルサはカリブ海の文化であり、今までコロンビア人やキューバ人に散々その華麗なる姿を見せつけられてきたが、カリブ海とは関係ないポルトガル人がここまでサルサがうまいとは知らなかった。その女性をリードする姿に、普段は控えめであるが、人生を楽しむポルトガル人の生き方を垣間見た気がした。ポルトガル人の男はプレイボーイの資質が高いようである。


かつて日本では、戦国武将の織田信長や豊臣秀吉らがポルトガル人を重宝し、『南蛮貿易』を後押しした。その後、薩摩や長州の大名が南蛮貿易で財力を増したり,カトリックに改宗したりするようになった話は有名である。ポルトガル人は、フレンドリーな笑顔と、人の心を読む洞察力をもって戦国武将をも取り込んでいったに違いない。

現在はEUの危機で憂き目を見ているポルトガルであるが、かつては、小国でありながら、七つの海を制した言われるほど繁栄していた。そのパーティーにおいて、ポルトガル人の控えめで、フレンドリーではあるが、そのしたたかさを垣間見た気がした。ポルトガルを決して侮ってはいけない。

0 件のコメント:

コメントを投稿