2013年5月30日木曜日

フランス人の多様性 

90年代の前半であろうか。かつてクレッソンというフランスの女性首相が、日本人の事を『黄色いアリ』と差別的な発言したことを記憶している。また、かつての上司がフランスに社費留学した時の話を聞いたことがあり、『当時(1970年代後半)のフランス人が日本人に抱くイメージは“猿”と同様だった。』という言葉が強く印象に残っている。当時のフランス人の有色人種に対する偏見は根強いものがあったのだろう。

私はこれらのネガティブのイメージのせいか、今まで積極的にフランスに関わろうとして来なかった。正直、あまり住みたくない国であると思い込んでいたのも事実である。従い、若い頃に旅行や出張を通じて何回かフランスに行ったことがあるが、フランス文化に傾倒したこともなければ、フランスに憧れたこともない。フランス語に本格的に触れたのもチュニジアに来てから初めてであるし、フランス人の友人を持ったのもほぼ初めてに等しい。

先週、同僚のフランス人の友人が結婚し、結婚式とその前夜祭にて、彼の家族や多くの友達と共に祝福をあげた。彼はイベリア半島出身の親を持つフランス人であり、新婦はチュニジア人であるが、フランス生活が長かった為、二人の学生時代やかつての同僚達がフランスから50人程駆けつけ、賑やかな集まりとなった。

その集まりにおいて、多くのフランス人と話をする機会があったが、正直、私のフランス人に対するかつてのイメージは一掃された。上述した通り、私のフランス人に対するイメージは気位が高く、外国人に閉鎖的であるというものであったが、最近の若い世代(20代や30代)はそうではなさそうである。話しをした殆どのフランス人はフレンドリーで、国際的であり、日本に対して多大な好奇心を持っているという印象を受けた。

そのフランス人達による日本に関する話題も、セーラームーンやドラゴンボールを始めとする漫画や、懐石料理の食文化、北野武の映画や、秋葉原におけるコスプレ並びにメイドカフェ文化と多岐にわたった。日本の金融機関の欧州現法に勤めているものもいた。また、漫画等を通じて、片言の日本語を知っている人が多く、『おたく』という言葉まで知っているフランス人がいたほどである。彼は日本の漫画とゲームが大好きな自称『プチ・おたく』であるという。

どうやら、フランスという国は、この30年程の間に、かつての植民地化による後遺症とグローバリゼーションの流れの中で、その伝統的な価値観が大きく変化していったようである。驚いたのは結婚式に来ていたフランス人の顔ぶれが、フランス人の先祖を持つもののみならず、サブサハラのアフリカ系や、北アフリカ系、東欧系等、様々な顔ぶれであったことである。また、多くのカップルが異なる人種間のカップルが多かったのが印象的であった。白人(コケ―ジョン)とネグロイドのカップルが多かったのには驚いた。

フランス人のエスタブリッシュメントも国際化しているようだ。前サルコジ大統領はハンガリー系の移民の子供であるし、内部大臣のマヌエル・ヴァルスはスペインの出身であり、20歳の時にフランスの国籍を取得したという。フランスのサッカーチームを見ても実に顔ぶれが豊かである。アルジェリア系のジダンや、アフリカ系のアンリ等の例を見ても、如何にフランス人の人種構成が多様化しているかがわかる。

フランスという国はかつての自国に対する圧倒的な誇りを持つ国から、様々な人種が交わり、他国の文化を学ぼうとしている国際的な国に変貌を遂げつつあることがわかった。今後、これらの動きは更に加速するであろう。様々なカップルを拝見して、フランスとアフリカが融合する日もそんなに遠くないと真剣に思ったほどである。

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