2013年5月19日日曜日

電力自由化の“デジャブ”

本日、久しぶりに日本のニュースをインターネットで見ていたら、電力の完全自由化が行われる見込みであることを知った。その内容によると、政府は5年後から7年後を目途に電力の小売りの完全自由化と発送電の分離を目指すという。

私は一瞬目を疑った。私にとってこの電力自由化の動きは“DejaVu(デジャブ)”である。既に10年以上前のことであるが、当時、『黒船』と呼ばれた米国の某エネルギー会社の日本の現地法人に勤めており、電力事業に参入しようとした経緯があるからである。しかし、自由化が頓挫し、道半ばでその目的を達成できなかったという思いがある。今回の方針は時代が遡ったような内容であるが、果たして政府は本気なのであろうか。ここで少し当時の事を振り返ってみたいと思う。

2000年より、2000kW規模以上の大口需要家に対する小売りが規制緩和され、当時は将来の完全自由化に向けて期待が高まっていた。その米国エネルギー会社は日本の電力市場にて流動性が生まれることを予測しており、既存の大口需要者に対して、年間電力料金の10%分を現金で支払うことを引き換えに、将来において電力を供給する権利を得るという商品を展開していた。少し専門的な用語であるが、デリバティブの『プットオプション』という考え方である。当時、私は同社のトレーデイング部門に所属しており、その商品を販売していた。しかし、その商品のコンセプトがあまりにも斬新すぎて需要家からなかなか理解が得られなかった記憶がある。最終的には、その商品のメリットを理解し、購入してくれた顧客も数社ほど存在した。

一方で、同社の発電部門においては、将来の電力の流動性を高める為に、青森や四国に大型の発電所も建設するべく計画が行われていた。当時、これらの動向は画期的であり、連日、日経新聞の一面を賑わせていた。また、当時は、その日本現法の幹部と東京電力の間で定期的に秘密裡の打ち合わせが行われていた。福島第一原発事故の時に指揮を執っていた某会長(当時は副社長)もその打ち合わせに参加していたことを覚えている。当時の電力会社は政府からの圧力に相当な危機感を持っていたのであろう。

しかし、2001年の夏頃になり、その米エネルギー会社において、日本の電力自由化に対して懐疑的な意見が増してきた。電力会社はその巨大な経営基盤を背景として、小売で競争しようとする会社に価格で対抗しており、市場競争が促進されていなかった。しかし、その自由化が進まない根本的な原因は、日本の電力の自由化の方法に構造的な問題があったと記憶している。

2001年5月にその米エネルギー会社が発表した『日本電力市場の改革への提案』というレポートがある。本日、インターネットで、その提案書を10数年ぶりに読んでみたが、その構造的な問題を指摘している。その主な問題は、電力会社による垂直統合型の組織形態と、地域独占体制、そして家庭向けも含む小口需要家市場を保護している点である。結局、懸念していた通り、電力会社による強い抵抗によって、発送電の垂直統合の組織は解体されなかった。また、電力会社にとって利益の源泉である家庭向けの規制緩和は行われず、電力自由化は中途半端な形でしか進まなかった。

今回の政府による電力の小売りの完全自由化、発送電の分離を目指すという方針は、10年以上前の失敗から学び、その構造に対して、本格的なメスを入れようとしたものである。しかし、何故、今になって自由化を推進しようとしているのであろうか。

まず、政府が電力の完全自由化を推進する背景は福島第一原発の事故にあることは間違いない。東京電力に対する激しい世論の批判の中で、『地域独占』と、『発送電一貫体制』の見直しに動いたのが大きなきっかけであり、国有化したことによって政府主導によって自由化が行える環境が整ったということであろう。

しかし、あくまで推測であるが、本当の理由はTPPによる外圧をきっかけとしているのではなかろうか。上述した、米エネルギー会社が関与していた時代からもそうであるが、日本はアメリカから、日米構造会議等で、様々な分野の自由化を迫られていた。TPPは域内の国において、同じルールが適用されるという仕組みなので、今回もTPPの交渉をトリガーとして、米国、又は、その外圧を利用して利益を享受しようとしている日本企業、そしてそれを後押しする政治家が、経済産業省を動かしたに違いない。

その米エネルギー会社は、ブッシュファミリーとも近いと言われていたが、実は、当時は世間で言われているほど、日本に対してアメリカによる政治的な外圧を利用していなかった。その理由を当時の米国人の幹部に聞いたことがある。その幹部によると、『日本に対して表だって圧力をかけることは、日米の良好な関係保持に寄与しないという米国政府の意向による』ということであった。その説明の際に、当時の橋本龍太郎通産相とUSTR(米通商代表部)のミッキー・カンター代表の間で激しいやり取りをしていたことを連想したことを覚えている。むしろ、外圧と騒いていたのは、日本のマスコミであり、それを利用していた日本の企業であったという印象を持っている。

その後、その米エネルギー会社は日本の電力事業を発電部門のみに残し、トレーデイング部門の活動は石油・ガス等のデリバティブの販売事業へと大きくシフトした。そして、その米エネルギー会社は不正会計疑惑をきっかけとして倒産し、私も4カ月の失業を経験した。当時はまだ30歳を超えたばかりの若かりし頃であったが、あれから10年以上の月日が経った。その年は米国テロ多発事件が起きた年である。

ご参考までに、私が住んでいるアフリカにおいては、最近の電力市場は、IPP(独立系発電事業者)の拡大のみならず、国によっては民営化や、(特に代替エネルギーにおいては)、電力市場の部分自由化の動きが促進している。私はどちらかと言うと、競争を導入する電力自由化に賛成であるが、今となっては電力自由化の強烈な崇拝者でもない。自由化の進め方を間違えると、電力価格が高騰したり、電力不足が起こる可能性もあるからである。是非、日本のレギュレーターには、市場を注意深く観察しながら、問題を一つづつ解決しつつ、自由化を進めて欲しいと願っている。

【参考資料】
http://www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/warming/00/01/enron1.pdf
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1302/12/news023.html
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/128330.html
http://eneco.jaero.or.jp/important/japan/japan05.html

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