週末にエル・ジェムに訪問した。ローマ帝国では3番目に大きい『円形闘技場』を擁する街である。かつては古代都市のシドラスという場所であり、オリーブオイルを中心に栄えた交易都市であったという。
今回はチュニスに住む、エキスパッツ(外国人駐在員)で構成している『探検グループ』と共に行動を共にした。友人に紹介されて、初めて参加したグループだが、色々な人がいて面白い。男女からなる、アメリカ人、ドイツ人、ブルガリア人、スロベニア人、チュニジア人のグループであった。年配の方が殆どであるが若者も交じっている。後になってわかったが、探検とは名ばかりで単なる旅行好きが集まるグループであった。
チュニスからルアージュ(乗合バス)で現地に向かうこと約2時間。会話のほとんどは英語だったが、多少ブロークンだろうが訛りがあろうが、皆お構いなしだ。この手のグループは何の利害関係もなくて気軽でいい。国籍も人種も年齢も男女も全く関係ない。その人がフレンドリーで親切か、又、その人が面白いかが重要な点である。道中、馬鹿話をしながらすぐに打ち解けた。
自己紹介をしたり、途中で高速のインターンで休憩をしたり、趣味の話をしているうちにエルジェムに着いた。そして、ルアージュから降りて、歩くこと数分。突然、巨大な『円形闘技場』が現れた。殆ど砂漠化して何もない街にそびえ立つ闘技場は神がかり的な存在に映る。この円形劇場は2世紀頃に建設されたというが、収容人数が3万五千人であるというのだから、横浜球場(収容人数3万人)よりも大きい。かつてのローマ帝国の建設技術のレベルの高さを見せつけられた。
そして、円形闘技場の中に入った。昨年、ローマのコロッセオに訪問したが、エルジェムの闘技場はその迫力とあまり変わらない。多少コロッセオの方が洗練している感じがするが、エルジェムの方が保存状態が良く、見ごたえがあった。19世紀も経て、現在でも利用されているのだから奇跡的である。乾燥している気候がその保存を助けたのであろう。
観客席に登り、闘技場を見下ろしたが、ここから見えるスペクタクルは壮大であったのであろう。ローマのコロッセオでもそうだが、ローマ帝国時代にはグラディエーターと呼ばれる剣闘士同士の戦いや、剣闘士と猛獣の戦いが行われ、観客を魅了したという。
円形闘技場の地下には剣闘士や猛獣を収容するスペースがあった。戦いの一方が殺される運命であるが、死闘が始まるまでの待合室である。19世紀前の剣闘士の汗や、動物の匂いが漂いそうな生々しい場所である。
この円形闘技場は、7世紀末にはアラブ軍と、現地のベルベル人の軍の間で戦いが行われたという。ベルベル人の女王のカヒナは、円形闘技場に立て籠もり、炎に身を投じて命を絶ったというのだから本当に劇的(メロドラマティック)な舞台であったようだ。
円形闘技場が見渡せる場所で、昼飯を食べながら、グループの人の話を聞いた。それぞれが、チュニジアに来た理由は様々で面白かった。ヨーロッパは所得税が高くて、チュニジアに移住して翻訳事業を行っている人、アメリカのフォーチュン100の企業に勤めたが、娘がチュニジア人と結婚したので、チュニジアに移り住み老後生活を送っている人、ヨーロッパの政府から派遣されたインターン、企業駐在員、医者、学生等、まさに“人生色々”である。国籍も人種も年齢も男女もバラバラであるが、この人たちとチュニジアでこのようにして出会えたのも何かの縁だろう。旅行に関しても、チュニジアではあそこが面白いとか、あそこは失望したとかそれぞれ意見を持っていた。エル・ジェムに関しては、初めて見る人が多く、どの人もその壮大さには驚いていた。
その後、モザイク画の美術館を訪問した。ローマ時代のモザイク画は動物や自然の風景が多い。動物も猛獣を扱うケースが多く、ローマ時代には猛獣を畏怖していた様子がわかる。これも円形闘技場の影響なのであろうか。
またキリスト教徒の絵が多いのが印象的であった。ローマ時代の当初はキリスト教は迫害されていたが、徐々にキリスト教は影響力を増す。テオドシウス帝は380年にキリスト教をローマ帝国の国教と宣言する。チュニジアにおいても、その影響を受けて、モザイク画もキリスト教徒の絵が多くなっているのがわかる。
チュニジアは遺跡の宝庫であるが、このような素晴らしい場所で、日本では中々出会えない多様な人々と共にチュニジアを探検出来たのは楽しかった。山崎豊子著の『沈まぬ太陽』の主人公の恩地元は『週末ハンター』であるが、私の場合は『週末(中年)バックパーカー』になるのであろうか。祖国から離れている寂しさはあるが、アフリカ大陸でこのような貴重な体験ができることに感謝している。
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