2013年1月20日日曜日

マリ共和国の軍事紛争(1)

Photos: Mali military braces against Islamist insurgents1月16日に起こったアルジェリアのイナメナスのBPのガス関連施設におけるテロは「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」による犯行であるが、犯行の動機はフランスがマリに対して軍事介入し、アルジェリア政府がフランスへ協力した為であると言われている。

CNNによると、本日(1月20日)、フランスと西アフリカの指導者はコートジボアールのアビジャンにて会議を開催し、西アフリカの諸国はマリに軍事介入しているフランス軍を支援することを約束し、早急に軍隊を派遣する方法について議論したようだ。現在、フランス軍はマリに2000人派遣されており、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は3300人の部隊を準備しているようである。

フランスは約1週間前にマリに軍事介入した。イスラム過激主義武装組織が首都のBamakoに入り込む事を防ぐためである。フランスとマリの軍隊は19日(金)にマリの中心部にあるKonna(首都より北東700KMに位置)をイスラム過激派より奪回したという。フランスは同時に他国の主導者に対して軍事的協力の早急な決断を求めている。

マリは1960年のフランスからの独立以降、干ばつ、軍事独裁、トゥアレグ族中心のアザワド解放民族運動(MNLA)との闘争により、困難が続いてきたが、1992年に初の民主的な選挙が行われ、その後、民主主義が発展してきた。ところが、2012年3月に不満を募らせていた兵士によりクーデターが発生する。不満の理由はMNLA対策として政府の軍部に対する支援が十分でなかったためである。しかし、その際に制裁を課したECOWASとの制裁解除を引き換えに、大統領の地位をトゥ―レらトラオレ国会議長に移譲することで合意し、マリはクーデターのわずか発生後22日で幕を閉じ、民政に復帰した。

一方でMNLAは2012年1月から北部で反乱を起こし、2012年4月に北部の独立宣言を行う。この背景には、2011年のカダフィーの殺害後、リビアの混乱に伴い武器がマリに流れ、MNLAはその武器を利用してマリ政府と対峙することが可能になった為である。実際に多くのトゥアレグ族はカダフィー側を支援して戦ったという。その後、トゥアレグ族から、権力の移行がイスラム過激主義派に移ってく。イスラム過激主義派は部族を支配し、フランスの国土と同じ広さであるマリの2/3を支配するようになる。

今回のフランスによる軍事介入はイスラム過激主義派の勢力が拡大しないように行ったものである。問題を複雑にしているのはイスラム過激主義者(サラフィスト)はアルカイダと繫がっており、アルカイダが今回のアルジェリアの誘拐事件で見られるようにマグレブ諸国で連携して活動を拡大していることである。アメリカの政府高官によるとリビアやチュニジア他2か国のアメリカ大使館への襲撃はアルカイダと強く結びついているという。

マリの問題も含めて、イスラム諸国の問題を、西側とイスラム国との対立構図にすると非常に厄介である。早急にアフリカ諸国と協力を行うことにより、アフリカの問題として解決しなければ、益々混乱に陥るような気がしてならない。

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