ビュルサの丘 |
歴史的にも、チュニジア人の起源であるフェニキア人によって栄えた町であり、ロマンを感じさせる町でもある。有名なローマ帝国時代に建造したアントニウスの共同浴場やビュルサの丘があり、遺跡ツアーにも欠かせない場所だ。ちなみにカルタゴの周辺は遺跡があらゆるところに存在する。カルタゴに住んでいる人によると、自宅の庭で遺跡を見つけたというような話は珍しくもないらしい。
少しカルタゴの外れであるが、毎週土曜日、フランス語の家庭教師の家に行くたびに、野球場の広さほどの巨大な遺跡の近くを通っていた。その遺跡はガイドブックにも載っていないし、名前も判らず気になっていた。本日、とても良い天気なので、フランス語の授業の帰りにその遺跡に行ってみた。
その気になる遺跡は『マルガ貯水場(Citernes de La Malga)』というが、一般見学者には開放されていないようだ。紀元前のローマ時代に建設されたその巨大な貯水場は、その外観を周辺から見ることが出来るが、貯水場の建物の中には入ることができない。本日、その周辺の道を散歩している際に、近くに佇んでいた警備員と思われる人に、遺跡について尋ねたところ、なんと貯水場の中まで案内してくれ、説明までしてくれた。この警備員の教養の深さには驚いた。判らないフランス語の単語は紙に書いて丁寧に説明してくれた。今から紹介する内容は、全てこの方が説明してくれた内容である。
『マルガ貯水場』建設は紀元後130~131年にローマ帝国のAdrian総督によって実施された水道プロジェクトの一環である。ローマ帝国はザグアンの5か所の水源を1か所に纏め、132KMに及ぶ水道教を建設してマルガ貯水場まで水を運んだという。この水道橋と貯水場を利用してアントニウスの共同浴場に水が運ばれたようだ。
貯水場は14区に分かれており、各区の長さは縦が100m、横が8m、深さが9mである。各区は隣接しており、1区につき、約7000m3の水が収容できるという。貯水場の天井は楕円形となっており、各天井には10の円形の穴がある。これは貯水場に酸素を注入する為の方策であるそうだ。隣接する区には2か所の水路が横軸に繫がっており。水の量が特定の貯水場に偏らないように工夫している。貯水場の壁は夫々80cmになっており、各区を隣接させ(80cm+80cm)、天井を楕円形にすることにより、構造的にも強固な建物にしているという。建物の物質は硫黄、石灰、灰を混ぜて構築しているとのことである。
フランスの植民地時代には、貯水場が崩れないように9mある床をある程度埋めて、強化した経緯も説明してくれた。この様な土木技術がAD131に存在し、20世紀近く経った後にも、その構造物が残っているのは驚愕の事実としかいいようがない。
マルガ貯水場 (一部はまだ水が残っている。) |
貯水場と共に過去の歴史にタイムトリップしたような感覚に陥った。本日は2世紀の長い歴史を感じた日であった。
0 件のコメント:
コメントを投稿